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子育てが苦手な私です。考えました。

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私は、
・自分の子どもの得意!を活かしきれていない気がする
・基本的に大人(自分)ベースでことを進めようとする
・怒ると叱るがまだまだ区別しきれず、感情で発する言葉もある
・子どもと遊ぶことも得意じゃない

です。

昔よりずいぶんコントロールすることができてきましたが、後で反省会も多いです。

「子どもの時間軸が違うこと」、「脳の成長システム上違うこと」は、頭では理解していますが、
自分の忙しい時間とのズレで、せかしてしまうことも多々あります。

子どもと遊んでいても、あまり楽しめない自分も嫌です。
砂場遊びで、子どもが砂ご飯を嬉しそうに作ってくれるのを待っている間も、
「この時間に本が読みたいな」とか、「講座の内容考えたいな」とか、
自分の作業について考えてしまったりします。

なので、子どもたちと遊ぶことが上手な義理の母を尊敬するし、
うらやましさもあります。
子供たちもそんな祖母が大好きです。

ですが、今のところは、母の私も親しみを持ってくれているようです。
ありがたい話です。

そんなこんなで、子どもたちも素直にすくすく育っています。
そのおかげで、知人からは、子育て講座やってよーと言われるほどです。
でも、私だけの力ではないよって思います。

なんで周りの人のように、こんなに子育てが得意じゃないんだろう。

考えました。
そもそも、私、子どもへの接し方がよくわかりません

なんでだろうとさらに考察してみました。
理由と思われることが3つ浮かびました。

1.幼少期、母と遊んだ記憶がなくて遊び方がわからない

たぶん遊んでもらってはいるので、失礼だけど、正直あまり覚えていないです。

その理由のひとつは、私が幼稚園児のとき、母が大病をしたこと
当時、母は、大きな手術をしたので、退院後、母は寝ていたというイメージが強いです。
一緒にお人形遊びをした記憶はありません。(もともと母も人形遊びが苦手だそう)
でもその後、奇跡的に回復して、数年後には、通常生活をしていました。
今でも健在で、活発に働き、本当にありがたい話です。

2.幼少期同年代と遊ぶことが少なかった

転勤族のわが家は、毎年引っ越しをしていました。
私も生まれたときは海外にいたほど。
(と言ってもオギャーしか言っていないので、英語はペラペラではありません)

引っ越し先でなんとなく友達ができて、その後も文通などするほどにはなるのですが、
毎回ほぼ一年間のリミットでした。
仲良くなればさようならを繰り返していました。

なので、どんな遊びをしていたか、あまり覚えていません。
「幼少期の遊びとは何か?」があまり思いつきません。
子どもが遊びたいもので遊べばいいのですが、その楽しかった記憶などがわかりません。

ここまでくると、私の記憶力が悪いのではとも思いますが…(笑)

3.自分の好奇心が強い

好奇心旺盛と言えば聞こえは良いですが、私、ただのマイペース

言い訳になるかもしれませんが、
色んなことに興味があって進めたい意欲が強くて、
自分の時間が足りません。

子どもとの時間は今だけとは思っています。
でも、やってみたい、完成させたいとか、学びたいという思いが強くて、
自分に当てる時間をとりたくなります。

なので言い方によっては自分中心的。

それこそ幼少期の時からです。
一人黙々と何か作ったりするのが好きだった自分。
そして大人になってもその傾向は強く、さらにはお金も得たら、
独身時代は、興味のアンテナをもとに一人で海外へも行ってしまうほど。
それなので、自分の子どもと言えども、ずっと向き合い、
じっとしていられない性格もあるかもしれません。

これらは子供の接し方がわからない、子育ての苦手意識の
大きな要因かなとも思います。

日々大切にしていること

でも大人になったとき、
会社の別の部署の部長にある言葉を言われました。

「○○さん(私)はほんと愛されて育ってきたんだね。そのことがにじみ出ている。」

って私の何気ない笑顔を褒めてくれました。
それがすごく嬉しかったし、親に感謝しました。

なので、私も子供へは愛情を注ぎたいし、大切にしたいと思っています。

目指すところは、
子供たちが、楽しく、幸せに生活して欲しい
と願っています。

でも何が正しいかわからない世の中。
自分なりに最善と思う道を、自ら選んで進んでいく力も大切だと思います。
情報も溢れ、何をしていなくても過ごせる時代、自分で考える力、
それをもとに動く力は大切になってきます。
そのきっかけやサポートをしてあげることが、私にできることかなと。
楽しく幸せに生きるために。
そして、幸せを感じられるように。

そんな私は、主人にも子育てが苦手と話をすることがあります。
すると、主人は、
「子育てをしよう」とする必要はないんじゃないか
と言います。
親が頑張ってどうこうするより、子供が楽しく生きれたらいいと。
その道を自分で選べるような、知識経験を積めたらいいのでないかと。
親ががちがちに何かを決めるのではなく、基本的に自由に動くことを尊重しているようです。

主人は、子供を連れだしたり、色々体験させてくれて感謝していますが、
それは、あくまで、自分が行きたいと思っているところに連れて行っているだけだそうです。
そうか、だから、機械の展示会やら航空博物館、海など主人の好きなところへ行っていたのか。
あくまで自分+(プラス)子供ってだけだと。
そこで、子供も楽しんで経験している。
いろんな経験をして考えることをさせてあげたい、
という思いが根本にあるんだと思います。
皆で夕飯のときは、毎晩、主人が見たい経済ニュースを流しています。
最後に子供に何か一つでもわかったことあった?と聞きます。
子供が見つけたことに対して、とても肯定的な反応で一緒に考えています。
こういうことが、彼なりの子供との過ごし方なのか。
育児というくくりではなく。

だからおれは子育てしないんだって言っていました。
いやいや、周りの人(主人の両親や私)が、
子供たちをみてくれているからだよ(笑)って思いましたが。
主人は主人なりの、愛情を持った子供への接し方のようです。
でも、私と同じようなところを目指しているようです。

結局、子どもも一人の人間。
と同時に、私も一人の人間。

人間どうしの繋がりで、愛情をもって、お互いを大切にすること、
それが大切かなと思いました。

なので、私が苦手と思ってしまうことも、認めつつ、相手の為にも
まずは自分を満たしてあげる。
それが、子どもへさらなる愛情をもって接することができる自分に
なれるのかなと思います。
そうやって、みんなが幸せに楽しく生きる道を、
子どもと見つけていきたいと思います。

みなさんも、よかったら、子どもへの思い、教えてください。

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